僕が修行している少林寺拳法だが、多くの人のイメージは護身術だ。
それに間違いはないのだが、実は宗教法人である。
なぜなら、あくまで少林寺拳法の憲法については修行(修練)のなかの易筋行であり、そもそもは人を育てる教えを説いている。
教範でも、技のことは書いているが多くに教えを説くところが多い。
そのなかで先祖参りについての記載があった。
これは「先祖の霊」を肯定していることではなく、そもそもの教えは「この実際生きている世の中を理想郷とするためには、現実に生きている我々が変わらなくてはいけない」という思想が元になっている。
それを踏まえて読んでほしい。
長くなるので、まとめるとこうだ。
- もし先祖の霊があったとしても「自分の子孫の不幸を望むはずがない」
- 我々にとって、先祖とは現実に生きている祖父母、父母である、自分自身であり、子や孫である。
- 祖父母、父母を敬愛し自分を大切にし、妻や子どもや孫をかわいがり、幸せな生活をおくることが、最大のご先祖への御恩報じである。
先祖をおろそかにしろという意味でなく、自分自身が今をどう生きるかが、結果として先祖に喜んでもらう方法であると感じた話でした。